父が旅立ちました。
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お肉パーティーで盛り上がった翌日、父はずいぶんと疲れていて、それでも「お風呂に入りたい」というのでお風呂に入れてもらったとのこと。通りで、私たちが会いに行った時にはとにかくずっと寝ていて、ほとんど目も開けない状態でした。
それでもちゃんと意思の疎通はできてて
「眠いなあ」「なんか暑いなあ」
など話してくれていました。
その夜、なんとなく葬儀のことが気になって準備したりしてました。
翌22日の朝、5時半ごろから目が覚めて父のことが気になって眠れなくなりました。
6時半、病院から電話があって「呼吸が浅いので至急来てください」と連絡あり。
聞けば、5時半くらいまで「暑い」と言っていたものの手足だけは冷たくて、なんとか湯たんぽなどで温めていたらしいのですが、次に見に行った時には呼吸が浅くなっていたとのこと。
その頃、旅立ちを決めたのかもしれないね…
子供たちも集まって、医師の立会いの下、息を引き取ったことが確認されました。午前8時36分。72歳の生涯でした。
全く痛みを感じることはなく、ただひたすらに眠たい怠い…といった感じだったようです。
ほんの一日半前にはみんなでピースして写真撮ったのになあ。
孫の焼いた肉を食べて「柔らかい」と言って和んだし、
開けたばかりの炭酸飲料を飲んで、びっくりした顔して「キョウレツ~!」と言って皆で爆笑したり、
ハグして「またね」って言ったのにな。。。
目に見えない「病魔」がこの肉体を蝕んだことが本当に恐ろしいと思いました。
死亡が確認されたあとは、ひとしきり泣いて泣いて泣いて。もう立ち直れないんじゃないかってくらいみんなで泣きました。
そのあと、看護師さんの指導の下ベッドの上で防水シート敷いて洗髪をして、死後硬直が始まる前に服を脱がせて温かいタオルで身体を拭いて、用意した浴衣に着替えさせました。
「洗う髪の毛が少ないなあ」
「ちょっとこんなにお腹がぺったんこだよ」
「あばら骨ってこんななんだ」
とあちこち触って驚いて、まるで博物館に来た子供みたいに死んだ父の体をジロジロ観察。笑
何より一番驚いたのは、顔も体も冷たくなってきているのに、お腹はしばらく温かかったこと。
みんなで父のやせたお腹に手を当てて、しばらくその温もりを感じていました。
さようなら。さようなら。
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実家に戻って、真っ白な布団の上で眠る父の傍らでおしゃべりが止まらない子供たち。
時々、冷たくなった父に抱きついたり、ほっぺを撫でたりしながら過ごしている今現在。
小腹が空いたら、父が孫たちに作ってあげていたという「うまかっちゃん」を再現して作っては、父を偲んでいました。
本当に愛されていたなあ。こんなに幸せな最期ってあるだろうか。
悲しみだけではなく、笑って見送れるなんてなんて幸せなんだろう。
時々襲ってくる寂しさにどうしていいのか分からなくなるけれど、父から与えられた愛を胸に、これからも恥ずかしくない生き方をしていかなくてはと心に誓った夜であります。
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お見舞いのたびに動画と写真を撮影していたのだけど、昨日は別れ際の動画撮ってました。
父と母が手を握りながら「またね」っていうやり取りを。
最後の会話の瞬間
父からの最後の言葉
それは
「ありがとう」
でした。
亡くなった後にその動画を観て、あれが最後の言葉だったことに涙がまた止まりませんでした。